天気が変えた!歴史の運命

こんにちは。

気象予報士資格を勉強し始めて3日。

さっそく試験から少し外れる話題になって恐縮ですが、気象が人の命運を変える力を持っていることを綴っていこうと思います。

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この悪天がなければ今の日本はなかったかも?!『鎌倉時代の蒙古襲来』

今から750年も昔、日本は当時の中国の王朝である「元」から二度にわたり武力侵攻を受けました。

1回目は1274年11月4日〜19日までの16日間。(文永の役)

2回目は1281年6月8日〜8月22日の2か月半。(弘安の役)

1回目の侵攻では元軍は対馬・壱岐を次々と陥し、ついに博多に上陸。

日本の武士たちは蒙古軍の勢いに押され、太宰府まで敗走することに。

戦闘に勝利し船に戻った蒙古軍だったが、その夜に暴風雨に遭遇し大陸へ撤退していきました。

この暴風雨がいわゆる『神風』ですね。

2回目の侵攻でも元軍は台風に遭遇し、14万人の大軍が3万人になるほどの壊滅的な損害を被りました。

2度の侵攻において戦況的に劣勢だった日本軍が国を守れたのは『神風』と呼ばれた気象現象のおかげでした。

もしも『神風』が起きずに元軍に攻め込まれていたら今の日本の形はなかったかもしれませんね。

原子爆弾投下の目標都市も天気によって運命が分かれた

福岡県小倉市は戦時中、重要な軍事拠点でありました。

1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされた日、もし広島上空の天候が悪かったら次の目標地としてアメリカ軍の爆撃機エノラ・ゲイは小倉市に原爆を落とす計画だった。

長崎に原爆が落とされた8月9日、当初の第一目標地は福岡県小倉市だったが小倉市上空の天候が悪かったためアメリカ軍は第二目標地の長崎に原爆を投下しました。

小倉市はどちらの日も原爆投下の候補地となっていましたが、どちらも天候により回避されたのです。

気象により命運が大きく分かれることになった一つの事例でした。

気象というものはいつの時代もわれわれにとって身近であり大きな影響を与えてきました。

人の生死にも関わる『気象』というものを勉強する重要性を改めて感じました。

今日はこれにて!


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