2024年1月2日に羽田空港で衝突事故があったように、滑走路は空港でもっとも危険な場所です。時速200km以上で走行している飛行機とほぼ停止状態の飛行機が1分毎に入れ替わるシビアな場所です。管制官やパイロットが最も神経を使っている場所が滑走路です。
ただそれでもトラブルが絶えないのも滑走路という場所です。勘違いや聞き間違い、コミュニケーションエラーなど人間なら誰でも日常生活でも起きうるような簡単なミスが大きな事故につながるおそれがあります。
今回は2008年の新千歳空港で管制官の危うい言葉の表現で起きたインシデント事例をみてみましょう。
新千歳空港でのインシデント概要
2008年2月16日(土)、日本航空のJAL502便(B747-400D型機)が新千歳空港から出発するために管制官からの指示で滑走路01Rに入り待機していたが、同じ滑走路に先に着陸していた別のJALのMD-90型機が未だ滑走路上にいるにもかかわらず、出発のB747が管制官からの離陸許可がないまま離陸滑走を開始してしまった。
そのまま走り続けると前方にいるMD-90型機と衝突する恐れがあったが、管制官からの停止指示により離陸を中止し衝突を回避することができた。
雪が降る悪天候下であった
当時の新千歳空港は、冬の雪が降る環境下で視程も500m程度であり、飛行機を運行するにはかなり難しい状況でした。視程500mは、3,000mある滑走路の1/6しか見通すことができず、走った先の滑走路上に場外物があってもわからない怖い状態です。離陸許可がでたとしても自分で滑走路上の安全を確認することができず、管制官を信じて走り出すしかありません。
なぜJAL502便は無断で離陸滑走を開始してしまったのか
今回のインシデントが起きた原因を考える上で重要なポイントは、
「JAL502便はなぜ管制官の許可なく離陸滑走を開始してしまったのか?」
という点です。
JAL502の機長へのインタビューではインシデントの際、「離陸許可をもらったものと確信していた。」という。しかし一方でその時の航空管制の通信記録を辿っても管制官は離陸許可を出していなかった。
確かに離陸許可は出されていなかったが、通信記録にはJAL502便の機長が【離陸許可と誤認する】に至ったあるワードが管制官から発せられていたことがわかりました。
“TAKE-OFF”という言葉
“TAKE-OFF”は「離陸」を意味し、管制官が飛行機の離陸を許可する時に”Cleared for TAKE-OFF”(離陸を許可します)の用語で使われます。離陸を許可されると航空機は滑走路上を走り始め、一気に時速200km以上の速度へ加速していきます。
当然ですが、乗り物は速度が出ている時ほど大きな事故に遭う可能性が高くなります。衝突する対象物が多い地上で加速を促す離陸許可は最も慎重に行われるべき指示とも言えます。管制官により滑走路、および飛行経路上に衝突するものがなにもないことが確認されないと離陸許可は出ません。
また誤認防止のため、現在のルールでは”TAKE-OFF”という言葉は「離陸を許可するとき」と「離陸許可を取り消す時」の2つのシチュエーション以外では使用しないよう明記されています。
今回のインシデントが起きた原因はこの”TAKE-OFF”というワードが不適切なタイミングで使用されたことにより、JAL502便が離陸許可を得たと誤認したことに端を発します。
飛行機は早く空へ飛びたい
飛行機は一つの機体を使って1日のうちに複数のフライトが計画されています。一度のフライトで遅延が発生するとその機体で計画されていたその日のすべてのフライトに影響します。
何が言いたいかというと飛行機は一刻も早く目的地に着くことを目指しているということです。お客さんもそれを望んでいるし燃料などのコスト面から見ても当然ですね。
特に離陸の時などは管制官からの”TAKE-OFF”という言葉が自分に回ってくることを心待ちにしています。そんな少し前のめりの状態の飛行機に”TAKE-OFF”という言葉が危険なのは想像に難くないでしょう。
実際の交信記録
——-2008年の新千歳空港の事例での管制交信記録——-.iIl|
10時21分48秒
JAL2503:CHITOSE TOWER, JAPAN AIR 2503, 16 DME.
(JAL2503 : 千歳タワー、JAL2503です。最終進入コース上16マイルの位置を飛行中。)
10時21分52秒
千歳TWR:JAPAN AIR 2503, TWR, RUNWAY 01R CONTINUE APPROACH, WIND 320 AT 8 AND RVR TOUCH DOWN 800M.
(TWR:JAL2503, こちらタワー。滑走路01R、進入を継続して下さい。風は320度8ノット。RVR値(滑走路上の視程)は800メートル。)
10時22分02秒
JAL2503:JAPAN AIR 2503, CONTINUE APPROACH RUNWAY 01R.
(JAL2503 : 滑走路01Rへ進入継続します。)
10時23分41秒
千歳TWR:JAPAN AIR 502, EXPECT DEPARTURE AFTER ARRIVAL TRAFFIC, 11 MILES ON FINAL 01R.
(TWR:JAL502, あなたの出発は滑走路01Rの最終進入コース上11マイルにいる到着機が降りた後になります。)
10時23分48秒
JAL502:JAPAN AIR 502, ROGER.
(JAL502 : 了解。)
( 中 略 )
JAPAN AIR 2503, RUNWAY 01R CLEARED TO LAND, WIND 330 AT 9, AIRBUS 320 AIRBORNE AND RVR 1,400.
(TWR:JAL2503, 滑走路01Rへの着陸を許可します。風は330度9ノット。エアバスA320が離陸しました。RVR値は1400メートル。)
JAPAN AIR 2503, CLEARED TO LAND RUNWAY 01R.
(JAL2503 : 滑走路01R着陸許可、了解。)
( 中 略 )
CHITOSE TOWER, JAPAN AIR 513 ON FINAL RUNWAY 01R 18 DME.
(JAL513 : 千歳タワー、JAL513です。滑走路01Rの最終進入コース上18マイルの位置にいます。)
JAPAN AIR 513, TOWER, RUNWAY 01R CONTINUE APPROACH, WIND 340 AT 9, RVR TOUCH DOWN 750M.
(TWR:JAL513, タワー、滑走路01Rへ進入を継続して下さい。風は340度9ノット。タッチダウンのRVR値は750メートル。)
JAPAN AIR 513, CONTINUE APPROACH RUNWAY 01R.
(JAL513 : 滑走路01Rへの進入を継続します。)
JAPAN AIR 502, RUNWAY 01R LINE UP AND WAIT, AND RVR TOUCH DOWN 750M.
(TWR:JAL502, 滑走路01R上へ進行し滑走路上で待機してください。タッチダウンのRVR値は750メートル。)
RUNWAY 01R LINE UP AND WAIT, JAPAN AIR 502.
(JAL513 : 滑走路01R上へ進行し待機します。JAL502。)
JAPAN AIR 2503, TURN LEFT B2 END OF RUNWAY. CROSS RUNWAY 01L.
(TWR:JAL2503 滑走路の端まで走行し、B2誘導路で左に曲がってください。その後、滑走路01Lの横断を許可します。)
JAPAN AIR 2503, B2 CROSS RUNWAY 01L.
(JAL2503 : B2誘導路を通り、滑走路01Lを横断します。)
( 中 略 )
JAPAN AIR 502, EXPECT IMMEDIATE TAKE-OFF, TRAFFIC LANDING ROLL AND INBOUND TRAFFIC 6 MILES.
(TWR:JAL502, 迅速な離陸を予期してください。航空機が前方を着陸滑走中。後ろには6マイルの地点に到着機が迫っています。)
ROGER, JAPAN AIR 502.
(JAL502 : 了解。JAL502。)
< < < JAL502が離陸滑走を開始 > > >🛫
JAPAN AIR 502, STOP IMMEDIATELY, JAPAN AIR 502, STOP IMMEDIATELY TRAFFIC LANDING ROLL.
(TWR:JAL502, 直ちに停止!直ちに停止してください!前方に着陸機が走行しています。)
JAPAN AIR 502.
(JAL502 : JAL502。)
JAPAN AIR 513, THIS TIME GO AROUND.
(TWR:JAL513, ゴーアラウンドしてください。)
JAPAN AIR 513, I SAY AGAIN GO AROUND, Ah~TRAFFIC LANDING ROLL AND DEPARTURE TRAFFIC ON THE RUNWAY.
(TWR:JAL513, もう一度言います。ゴーアラウンド。
あー、着陸機が走行中。また滑走路上に出発機もいます。)
JAPAN AIR 513, GO AROUND, FOLLOW MISSED APPROACH PROCEDURE.
(JAL513 : JAL513, ゴーアラウンド。進入復行経路を飛行します。)
交信記録からわかることは管制官が情報として「即時の離陸を予定してください」という言葉をパイロットが「今すぐ離陸してください」と受け取ったことで認識を間違えることになりました。たったこれだけの「勘違い」なのですが、もし出発機が走り続けてしまい、前方の滑走路上にいる飛行機と高速でぶつかった場合、大きな被害になったことは間違い無いでしょう。特にこの日は雪のため視界が悪く、数百メートル先が見えない状況なので障害物を発見してから回避の操作をしても衝突する可能性が極めて高い日でした。出発機の滑走にいち早く気づき、止める指示を出した管制官が大事故を阻止する防波堤になりました。
“Expect immediately TAKE-OFF”という「情報」を「指示」と勘違いして起きてしまった今回の事例。
TAKE-OFFというワードがまさに「落とし穴」となりました。もし管制官がテネリフェでの事故を知っていて「TAKE-OFF」というワードの落とし穴を認識し、その言葉を使用しなければ起きなかった事例かもしれません。しかし落とし穴に落ちかけても、管制官は滑走路の様子をよく監視していましたね。JAL502が離陸滑走を開始していることを早期に発見し適切に対処できたため事故にはつながりませんでした。
今回のようなWishful Hearingのケースの場合、聴く側が「もっと注意して聞いていれば…」ではなく、発信する側の「聴きたいものに聴かせない」配慮が対策になります。この例では「TAKE-OFF」という言葉を間違いやすいタイミングで不用意に使わないことが教訓となりました。
この重大インシデントが起きたことはよくない出来事でしたが、テネリフェの事故から半世紀近くが経ち、「TAKE-OFFという言葉がもつ危なさ」の認識が風化しかけていた事実を顕在化させたことはその後の航空安全に寄与したことだと思います。
この事例から得られたもう一つの教訓は、「かつての失敗から得た教訓を後世に伝えていくことの難しさ」といったところでしょうか。
人は年月が経てば、その失敗から得た教訓も忘れてしまうこともあるし、世代が変わってしまえばその失敗を知らない人ばかりになってしまいます。
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